1: 歴史マン 2017/12/22(金) 11:31:44.64 ID:+ZT2FfX9
豊臣秀吉、秀頼に仕え、豊臣政権五奉行として辣腕を振るい、関ヶ原で実質的な首謀者となり、処刑された石田三成。

彼は豊臣氏にとり忠臣だったのか? それとも佞臣だったのか?

関ヶ原、秀次事件、その他諸々から語り合いましょう!



3: 人間七七四年 2017/12/22(金) 16:01:56.84 ID:O8KrrySL
三成が挙兵しない方が良かったという人もいるけど、しないならしないで、
上杉、宇喜多、毛利と順々に屈服させ、1603年ごろには征夷大将軍に任ぜられていたと思う
あのタイミングでイチかバチかの賭けに出るのは悪い判断とは思えない

6: 人間七七四年 2017/12/23(土) 03:28:06.22 ID:LigwoZxX
>>3
信長無き後の秀吉の天下の掌握ほどの苦労は無かったろうよ

関ヶ原を待つまでもなく
政略という手段で着々と事は捗っていた

14: 人間七七四年 2017/12/25(月) 12:24:50.99 ID:98BdGG3m
三成は自分=豊臣家だと思いこんでいて、客観的な視点を持てなかったんじゃないかな
実態は単なる使用人の一人に過ぎず、政権の主が交代すれば大人しく身を引くべき存在にすぎなかったのに

16: 人間七七四年 2017/12/25(月) 13:11:43.41 ID:1cG/7H/W
三成が自分=豊臣と思ってたのは事実だろうな
それは客観的にみたら間違いだけど、歴史的にみると正しいというか、家康の乗っ取りを止められる可能性があるとしたらここしかなかったのが面白いな
まあ仮に勝っていたところで関東に撤退した家康250万石を三成19万石がすぐに倒せるわけないし、その場合は黒田が考えてた戦乱の再来か

29: 人間七七四年 2017/12/25(月) 18:19:40.09 ID:98BdGG3m
>>16
問題は三成が勝って徳川を滅ぼすところまでいけたとしても、それは毛利、上杉、宇喜多の資本で得た勝利であって、第2徳川が誕生しちゃうだけなんだよね
その第2徳川が豊臣家を傀儡化するにあたって三成を利用して立ててくれるんなら、徳川家康に天下を取らせるより良いって心理が働いていたんじゃないかな
そうだとしたら三成の動機には最初から自己欺瞞が含まれていたんだと思う
本人がこれに気づかなかったんなら、相当なエゴイストだったということになるかな

17: 人間七七四年 2017/12/25(月) 14:51:16.85 ID:P757Jujp
人望が無い時点で忠臣たりえない
実際主家を滅亡に導いた

30: 人間七七四年 2017/12/26(火) 03:34:16.80 ID:w+nYinqn
小早川秀秋に関白にさせてやるって言ったの?
そしたら秀頼はどうすんの?

31: 人間七七四年 2017/12/26(火) 05:20:11.10 ID:w6uaDliI
>>30
秀秋の関白は秀頼が元服するまでの期限付きの約束らしい。最も、三成に関白云々いう権限なんかないけど。

34: 人間七七四年 2017/12/27(水) 11:46:32.18 ID:neubxvCz
ぶっちゃけ豊臣の忠臣なんていなかった
秀吉は人たらしって言われてたけどさ
三成、清正、正則ら子飼いの武将でさえも
忠臣とはとても思えん行動してるでしょ

あえて言えば毛利勝永だと個人的に思う

41: 人間七七四年 2017/12/29(金) 10:06:41.92 ID:gSu1tThN
三成は豊臣秀吉個人に対してだけ忠臣だったので
ある意味で秀吉死後の豊臣家にとって最も言うことを聞かない脅威でもあった
武断派の行動は単なる好き嫌いではなく豊臣に従わない脅威と化した三成を討つという大義名分に基づく行動といえる

42: 人間七七四年 2017/12/29(金) 15:22:50.50 ID:1mfqrXG6
秀吉も信長個人に対してだけ忠臣だったからな

54: 人間七七四年 2017/12/30(土) 20:14:22.11 ID:X3GZYmhJ
もし関ヶ原で勝ってたら秀頼を傀儡にするの

56: 人間七七四年 2017/12/31(日) 12:23:29.94 ID:OYntUS8Z
>>54
小学生みたいな幼児になにができる?
だれかが政治を仕切らなければならない

63: 人間七七四年 2018/01/03(水) 11:31:59.92 ID:/S8Zk73z
秀吉も最悪そういう形で豊臣家存続を願ってたかもな
だから秀頼が生まれたあと淀の妹の江を秀忠に娶らせたり、千を秀頼の許嫁にしたりで何とか徳川を一門化しようとしてる
名目上豊臣トップで実権は徳川の緩やかな連合政権ともいうべきか
三成が全てをぶち壊した

68: 人間七七四年 2018/01/03(水) 15:53:24.13 ID:8mLVI4K1
>>63
秀吉は死後に淀殿を家康に嫁がせようとしてたって話もあるくらいだから
家康を父として秀頼の後見
秀頼と千姫の子が後を継いでいく
そうした平和的な豊臣徳川の合体を望んでいたかもしれない
家康も豊臣政権の執権徳川としての地位で十分だと考えてたかもしれない

64: 人間七七四年 2018/01/03(水) 12:43:52.65 ID:LcjcKBDR
秀吉的には家康も遅くとも10年後くらいには死ぬと思ってたんじゃないかね
そう年齢の変わらない家康が自分の死後20年近く生きるとは想像できなくても仕方ないような

69: 人間七七四年 2018/01/03(水) 17:32:18.84 ID:SfSzrDeH
>>64
数年でも油断ならんと思うけどね
単に秀吉が甘いというか信じて信じて信じまくってただけかと。

75: 人間七七四年 2018/01/03(水) 21:24:07.56 ID:ETLYk14x
利家がもっと長生きしてたら
時代は変わったのかな・・・

86: 人間七七四年 2018/01/05(金) 13:13:58.05 ID:zARohHeC
家康に喧嘩売るなんて強気すぎ

91: 人間七七四年 2018/01/06(土) 23:44:29.98 ID:QCrcnGtI
大願成就のためと処刑の直前まで健康に気を使ってた
これは忠臣

96: 人間七七四年 2018/01/08(月) 00:39:36.84 ID:pXGaSbrO
スレ趣旨とズレるけど、地元で慕われてた伝承が気になる。
清正もものすごく慕われてたよね
秀吉子飼いの二人にああいう慕われてた伝承が残ってるということは、主の秀吉の政治の中になにかがあって、二人がそれを発展させた可能性大だと思う

97: 人間七七四年 2018/01/08(月) 01:38:17.81 ID:GJklCZOY
三成の善政はガチやろ
ちなみに井伊直弼も地元じゃとても慕われてる

勘違いされてる歴史上の人物はまだまだ多い

115: 人間七七四年 2018/01/09(火) 02:04:22.36 ID:FDn2rL+H
大将の器量に差がありすぎる。
徳川家康は織田信長、武田信玄、豊臣秀吉とやり合ってきたツワモノ。
石田三成は坊主上がりでろくな戦争経験もなし。

経験からして雲泥の差があり過ぎて話にならない。

118: 人間七七四年 2018/01/09(火) 13:14:35.44 ID:UOeO5u8r
素人意見だが、三成は豊臣家というより、秀吉個人に忠を尽くしてたイメージ

120: 人間七七四年 2018/01/09(火) 13:55:02.41 ID:fvFOCUU0
最近、三成と家康は仲が良かった説が出てきたね
でもけっきょく主を乗り換えることをしなかった えらいなあ かっこいい

125: 人間七七四年 2018/01/10(水) 05:33:51.82 ID:fbikLDik
大坂城とお別れは断固として認めないだろうな

139: 人間七七四年 2018/01/11(木) 21:05:11.79 ID:Ijl8hzWS
三成はもちろん忠臣

三成が嫌いなばかりに家康に味方した豊臣恩顧の大名たちは忠臣とは言えないな
関ヶ原で家康が勝てば主家を凌駕していく近未来は容易に想像できたはず

143: 人間七七四年 2018/01/12(金) 07:17:29.14 ID:tVCZcUlx
>>139
秀吉没後の豊臣には、家康抜きではもう政治をとる能力すらないんだが。

153: 人間七七四年 2018/01/12(金) 19:28:32.24 ID:BxQN5D10
三成は美談だけが残ってる訳じゃないだろう

154: 人間七七四年 2018/01/12(金) 20:27:30.22 ID:y2QVQwpm
>>153
まあね。
あれだけ憎まれたからには、不正もかなりやってたんだろうなあ。

158: 人間七七四年 2018/01/12(金) 22:52:30.62 ID:sWQEs/Ka
理想が高いのかな彼は