歴史ニュース

    1: 名無しさん@1周年 2018/01/15(月) 01:29:46.77 ID:CAP_USER9
    北条早雲(伊勢宗瑞)画像(岡山県井原市・法泉寺蔵)
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    高越山城に建つ早雲生誕之地碑
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    北条早雲の出自とされる高越山城(岡山県井原氏地域創生課提供)
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     戦国時代の関東覇者で、小田原に本拠を置いた北条氏五代100年の祖である北条早雲の出自は、伊勢の一介の素浪人から戦国大名となった下剋上の始まりで、戦国時代の幕開けとなった人物とされている。

     近年の追究で、室町幕府の政所執事伊勢家の庶流で、父・盛定は備中国荏原荘(岡山県井原市)の備中高越山城主である。早雲も室町幕府(足利義視)の申次衆(将軍への取り次ぎ)に抜擢されている。政所執事とは、幕府の徴税責任者である。

     ところで早雲は生涯、北条早雲とは名乗ってはいない。実名は「伊勢新九郎盛時」といい、嫡子の氏綱は相模国の支配者であった管領・上杉氏に対抗するため、名高い鎌倉幕府執権、北条氏の後裔であることを主張し、2代目から「北条」と改名することになる。よって新九郎は「北条早雲」の俗称があてられ、先学では法名の「伊勢宗瑞(そうずい)」と表記することが多い。それでも以後、一般的な呼称のため「北条早雲」を用いる。

     早雲と今川義忠との関係は、京都において応仁の乱(1467~77年)が勃発する時期、優柔不断な8代将軍、義政の弟・義視が将軍候補に迎えられたが、京が動乱の中、将軍の花の御所(室町亭)を警護したのが今川勢を率いる駿河守護の義忠であった。

     このとき、危険が迫った義視と近習の早雲は伊勢に逃れている。2年後、義視は京へ戻っているが、早雲の足取りが不明だったこともあり、伊勢の素浪人説の契機になったといわれる。

     この乱期に、幕府内での地位が高かった早雲の父の影響もあり、妹(姉の説もあり)が文明元(1469)年に義忠の正室として嫁ぎ北川殿といわれた。今川氏と姻戚を深めた早雲と四代北条氏にわたり、今年はその史跡を訪ねる。(静岡古城研究会会長 水野茂)


    http://www.sankei.com/life/news/180114/lif1801140023-n1.html


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    1: 名無しさん@1周年 2018/01/10(水) 23:21:28.53 ID:CAP_USER9
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180110/k10011284571000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_003

    西郷隆盛がみずから書き、西南戦争で西郷軍に加わって功績を挙げた宮崎県都城市の士族に渡していた書が見つかり、専門家は「西南戦争に参加した鹿児島以外の士族と西郷の直接のつながりを示す貴重な資料だ」と評価しています。

    宮崎県都城市の博物館「都城島津邸」によりますと、この書は明治10年の西南戦争で西郷軍に加わった都城市出身の士族の子孫が保管していました。

    縦1メートル20センチ、横50センチほどの和紙に、平安時代の「前九年の役」の故事をひいて、「源氏の勇敢で落ち着いた姿に感服した」という内容が力強い文字で書かれ、西郷が当時名乗っていた「南洲」の文字が記されています。

    西郷の遺品などを集めた鹿児島市の資料館「西郷南洲顕彰館」に先月鑑定を依頼したところ本物と確認されたということです。

    この士族は熊本での戦いで功績を挙げたということで、「都城島津邸」の山下真一副館長は「西南戦争に参加した鹿児島以外の士族と西郷の間に直接のつながりがあったことを示す貴重な資料だ。西郷自身もあやかりたいと願っていた源氏の勇敢さを伝えたかったのではないか」と話しています。

    書は12日に博物館に寄贈され、修復を行ったうえで公開される予定です。


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    1: 名無しさん@1周年   2018/01/02(火) 12:31:52.36 ID:CAP_USER9
    水深71mの古代ロマン!琵琶湖の底に完全な形の土器 立命館大が発見
    2018年01月02日 08時00分
    http://sp.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/3/23254.html

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    水深71.5メートルの琵琶湖の湖底で見つかった完全な形を残す土器(口径約20センチ、高さ約30~40センチ)(提供:立命館大学)


     日本最大の琵琶湖には、地滑りや地盤沈下が原因で水没した可能性がある水中遺跡が数多く眠る。
    そのうちのひとつ、琵琶湖に突き出した「葛籠尾崎(つづらおざき)」沖の湖底で、飛鳥時代から奈良時代に作られたとみられる土器が発見された。

     立命館大の矢野健一教授と熊谷道夫教授らのグループは、2017年12月14日、滋賀県長浜市の葛籠尾崎の沖から400メートルほど離れた水域で、水中ロボットを使った遺跡探査を実施。
    水深71.5メートル地点で7~8世紀に作られた土師(はじ)器のかめと推定される完全な形の土器を見つけ、カメラで撮影した。

     この遺跡は、深さ70メートル付近の水流が激しい湖底にあるため、ダイバーの潜水調査は難しく、グループは独自に水中ロボットを開発し、調査を続けてきた。

     琵琶湖や周辺に点在する内湖の底には、かつて陸上にあったものの、水位の上昇や地盤沈下などの理由で水没したとみられる湖底遺跡が約80カ所存在する。

     立命館大のグループは、2010年以降16回にわたる調査で、葛籠尾崎の沖合から1.5キロほど南に浮かぶ竹生(ちくぶ)島にかけての水域で、6世紀から12世紀ごろの須恵(すえ)器や土師器の坏(つき)とみられるものを発見している。

     このうち、平安時代の土器については、古来より神の棲む島として崇拝されてきた竹生島の信仰と関連性が高いと指摘する意見もある。
    ただし、今回発見された土器は、従来のものとは形態が異なっており、その使用目的や湖底にある理由については、これからの調査が待たれるばかりだ。

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    何に使われていたのか、なぜ湖底にあるのかは、古代のロマンだ(提供:立命館大)

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    琵琶湖北部に浮かぶ竹生島は、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したという伝説が残る、古来より神仏一体の聖地だ(Wikimedia Commons)

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    1: 名無しさん@1周年   2017/12/27(水) 12:24:42.87 ID:CAP_USER9
    http://www.asahi.com/articles/ASKD90045KD8PTFC012.html

    敵の侵入を知らせるためと言われてきた「うぐいす張り」は長い年月がたって金具が緩んだことが原因だった。
    京都・知恩院では修理したことで鳴っていた廊下が鳴らなくなり、老朽化によって鳴っていなかった廊下が鳴るようになった。

     浄土宗総本山知恩院や世界遺産・二条城(いずれも京都市)で知られる「うぐいす張り」。
    廊下を歩くとキュッキュッと音が鳴るため、「忍び返し」とも言われ、侵入者を知らせるための工夫とされてきた。だが、その説に疑問符がついているという。

     「平成の大修理」が進む知恩院。江戸前期にできた御影堂(みえいどう、国宝)など建物四つをつなぐ廊下(約550メートル)が、うぐいす張りだ。
    案内板で「侵入者を防ぐための工夫を凝らしたもので(中略)長さも音色も日本一」と説明している。

     だが、建物の一つは2011年に修理を終えて以降、廊下を歩いても音が鳴らなくなった。
    一方、別の場所にある阿弥陀堂はうぐいす張りと呼ばれていなかったが、再建から100年余りたった近年、音が出るようになった。

     音の原因は、床板を固定する金具「目かすがい」と釘にある。

     建築当初、金具は釘でしっかり… 



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    1: 名無しさん@1周年  2017/11/28(火) 18:30:30.98 ID:CAP_USER9
    https://this.kiji.is/308123063693165665

     江戸時代に全国を測量し、精密な地図を作製した伊能忠敬(1745~1818年)の足跡をたどるスマートフォンアプリ「伊能でGo」が配信中だ。伊能率いる測量隊が宿泊した3千地点以上が地図上に示され、ユーザーはスタンプラリー形式で巡ることができる。開発元は「偉業を肌で感じてほしい」と話す。

     伊能は1800年から16年にかけ、弟子らを伴って北海道から鹿児島までを測量。9度にわたる遠征の行程や作業内容、宿泊地などを細かく日記に残している。

     アプリは日記に書かれた宿泊場所を“チェックポイント”として地図上に表示。スマホの衛星利用測位システム(GPS)を利用して、ユーザーが宿泊地の半径500メートル以内に近づくと、スタンプが押せる。周辺を散策して宿場の面影を探したり、街並みの変化を感じたりするのも楽しい。

     それぞれの宿泊地には滞在日数に応じてポイントが割り振られていて、会員登録した人の間でランキングを競うことができる。アプリから接続できるインターネット上のマイページでスタンプ帳を作成、印刷すれば、旅の記念にも。

     開発した「InoPedia(イノペディア)をつくる会」の渡辺一郎会長は、全国各地に伝わる測量隊の記録を集める活動もしている。「大勢の人にアプリを利用してもらうことで、新たな記録の掘り起こしにつながれば」と期待を込めた。


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