歴史ニュース

    1: 名無しさん@1周年 2018/09/05(水) 07:32:51.53 ID:CAP_USER9
    刀を鍛える内田義基さん
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    戦国大名の今川義元らが愛用し、桶狭間の戦いで織田信長に奪われた刀、「義元左文字」を現代に復元するプロジェクトが有志によって進められている。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が所有し、家康は大坂の陣に持っていったとの説もあるため「天下取りの刀」との異名も持つ。2019年は義元の生誕500年にあたり、来年5月の完成をめざす。(WEB編集チーム 高原大観)

     発起人は静岡を中心に、戦国時代のイベントによろい武者役で出演する活動などを行う「遠州鎧仁會」(えんしゅうがいしんかい)の佐野翔平さん(27)だ。刀鍛冶の内田義基(よしもと)さん(48)が刀身を担当し、鞘や柄などの外装を同じく刀鍛冶の水木良光さん(34)が担当する。また、大河ドラマ「おんな城主直虎」で義元を演じた静岡県出身の落語家・春風亭昇太さんを名誉会長、静岡大学名誉教授の小和田哲男氏を名誉顧問に迎えた。歴史的な見地から助言をおくるという。

    ■凡将ではない実像

     佐野さんは「義元は信長に桶狭間の戦いで敗れたということで、世間の評価が低く感じる。しかし、おひざ元の静岡に住んでいると、世間での評価が低いことに違和感がある。義元は軍備を充実させると同時に内政にも優れた武将だった。今回の復元企画を通じて再評価につなげたい」と話す。

    生誕500周年を迎えることを機に義元が統治していた静岡では再評価の動きが広がっている。ゆるキャラの「今川さん」もデザインされた。「静岡で有名な武将は徳川家康」との従来のイメージに異を唱えることなども目的という。

     家康の前には義元が「海道一の弓取り」(武将)と呼ばれており、駿河(静岡県)、遠江(静岡県)、三河(愛知県)を領する大名として確固たる地位を築いていた。軍事面においては三河に侵攻してきた織田信秀(信長の父)を撃退し、外交面においては国境を隣接して強大な軍事力をほこる武田信玄や北条氏康と甲相駿三国軍事同盟を締結して国境付近での争いを沈静化させた。内政面では領国を統治する法の「今川仮名目録」に追加の条文を加えて室町幕府からの自立を果たした。金山開発もすすめ、金の採掘を行うと同時に領土の東西を通る東海道での物資流通を促進するなどして国を富ませた。また、家臣団の結束を強化させるなど優れた施策を行っている。暗愚な将とはほど遠い。

    ■幻の姿

     「義元左文字」は刀匠・正宗の十人の高弟の一人に数えられる左文字源慶の作とされている。自身の作品に「左」の文字を入れることから左文字と呼ばれる。三好正長が初めに所持し、その後武田信虎(信玄の父)を経て今川に伝わった。桶狭間の戦いで義元が所持していたものを信長が入手した。信長は二尺六寸(約78センチ)の長さを二尺一、二寸(約69センチ)まで短くして持ち手の表に「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持刀」、裏に「織田尾張守信長」と彫り、金で文字を書いた。

    その後豊臣秀吉の手を経て秀頼に受け継がれ、徳川将軍家のもとへ渡った後に明暦の大火にあう。修復のため再度鍛え直された。明治になり、京都に信長をまつる建勲(たけいさお)神社が建てられると、徳川宗家から奉納され、今日にいたる。刀の模様などは変わっており、義元が持っていた当時の姿は残っていない。

     刀身の復元を担当する内田さんは「文献など資料が残っておらず、当時の刃の模様などは想像で補うしかない」と話す。

     佐野さんは「この企画を通じて義元の魅力を多くの人に伝えたい」と話している。

    https://www.sankei.com/life/news/180904/lif1809040023-n1.html


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    2: 風吹けば名無し2018/08/28(火) 20:01:01.55 ID:+zcOnxZe0
    政宗の直系、伊達佳内子さんがミスワールド日本代表

    「ミス・ワールド2018」日本代表選考会が28日、都内で開催され、
    応募総数7210人の中から東京都出身で慶大法学部政治学科4年の
    伊達佳内子(だて・かなこ)さん(21)が日本代表に輝いた。

    伊達さんは「びっくりな気持ちでいっぱいです。夢を見ているような気分です」と喜びのコメント。

    伊達さんは、戦国武将・伊達政宗の直系の末裔(まつえい)で、政宗公から21代目の子孫だという。
    政宗公に似ているところを取材陣に質問されると「負けず嫌いなところと、何でも全力なところ」とし、
    「あと、まゆ毛が太いところかな」と笑いを誘った。

    また、喜びを最初に伝えたい人を聞かれると
    「母です。そばにいてくれておいしいご飯をつくってくれた」とニッコリ。

    今後は、11月9日~12月8日まで中国で開催される世界大会に日本代表として挑む。
    「目指すは世界一。大会まで精進していきたいです」と話した。

    nikkansports.com
    https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201808280000616.html


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    1: 名無しさん@恐縮です 2018/08/25(土) 10:12:12.39 ID:CAP_USER9
    三成主役の大河ドラマを要望 ゆかりの滋賀首長ら、NHKに


    戦国武将石田三成を主人公とする大河ドラマの制作を求め、
    ゆかりの滋賀県長浜、米原、彦根各市でつくる「びわ湖・近江路観光圏活性化協議会」
    (会長・大久保貴彦根市長)が24日、東京都内でNHKに要望書を提出した。
    要望は今回が初めてで、NHKは「熱意は受け止めて検討したい」とした。

    この日は大久保氏のほか、藤井勇治長浜市長、平尾道雄米原市長ら同協議会メンバーが
    渋谷区のNHK放送センターを訪問。
    「従来の歴史ファンのみならず、若い女性層にも波及している」などと三成の魅力を訴える
    要望書を手渡し、ドラマ制作の実現を求めた。

    NHK側からは「有力な候補の1人ではある」などの意見が出た。
    堂元光・NHK副会長も「三成の出てこない戦国ものはない」と存在感を認めつつ
    「ありがたい話だが、全国各地から(ゆかりの人物についての)膨大な数の要望がある」と述べた。

    協議会はこのほか、日本橋の滋賀県情報発信拠点「ここ滋賀」で23日から2日間、
    三成をテーマに地元飲食店が開発した菓子やかまぼこを販売。
    24日も三成のイラストを車体にあしらったタクシー車両で都内を移動し、ゆかりの地をPRした。

    https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180824000170
     
    https://www.kyoto-np.co.jp/picture/2018/08/20180824184947mitunari.jpg

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    1: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 05:43:27.43 ID:CAP_USER9
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180820/k10011582511000.html

    今から150年余り前、幕末の将軍、徳川家茂と慶喜が西洋諸国との間に取り交わした外交文書に使用した印の実物が確認されました。
    調査にあたった専門家は「江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。

    見つかったのは、「文武両道の政治を行う」という意味の「経文緯武」と彫られた縦・横9.2センチ、重さ2.7キロの銀印で、
    徳川家に伝わる資料などを管理する徳川記念財団が蔵を整理した際に、漆塗りの箱の中に残されていました。

    東京大学史料編纂所の保谷徹所長などが調べたところ、幕末に西洋諸国との外交が始まったあと、14代将軍の徳川家茂と
    15代将軍の慶喜が国の代表として外交文書などに使用していた印の実物と確認されました。

    この印は安政5年、西暦1858年に結ばれた日米修好通商条約の批准書などに将軍の署名とともに押されたことが、
    残された書面から確認できますが、実物がどこにあるのかわかっていませんでした。

    保谷所長は「今回見つかった印は、将軍が当時の日本の主権者であることを明らかにするために使われた。
    江戸時代に国を代表して押された印が残されていたのは非常に驚きで、大変貴重な発見だ」と話しています。

    この印は、来月15日から新潟県立歴史博物館で開かれる「徳川の栄華」展で、来月30日までの期間限定で公開される予定です。


    外交迫られ 正式な印を製作

    東京大学史料編纂所の保谷徹所長によりますと、今回見つかった印は、安政4年、西暦1857年に幕府が製作を指示した記録が残されています。

    その翌年の安政5年にアメリカやイギリスなど5か国との間に修好通商条約が結ばれ、翌安政6年に取り交わした批准書のうち、
    少なくとも日米、日英、日仏の書面には、将軍・家茂の署名とともにこの印が押されていることが確認できたということです。

    また、文久遣欧使節を派遣した際の信任状にも使われているということです。次の慶喜の時期には、慶応3年(西暦1867年)に
    デンマークとの間に取り交わした条約の批准書や、同じ年に弟の徳川昭武を将軍の名代としてパリ万国博覧会に派遣した際の
    信任状などに使用されています。

    この印が作られる3年前には、アメリカとの間で日米和親条約が結ばれていますが、印は使用しておらず、当時の老中の署名があるだけでした。

    しかし、その後、西洋諸国とのさらなる外交を迫られたことから、外交諮問役だった林復斎の進言により、文書に使う正式な印を
    製作することになったということです。

    保谷所長は「幕末に和親条約を結び、外国とのつきあいが始まるということで、外国の書簡に一定の印を押したほうがいいだろうと
    幕府が諮問をして印章を作らせました。作られて以降は、将軍が相手国に送る国書にはこの印が押されていると思います」と話しています。


    https://nordot-res.cloudinary.com/t_size_l/ch/images/404006538773021793/origin_1.jpg


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    1: 名無しさん@1周年 2018/08/20(月) 08:27:07.36 ID:CAP_USER9
    日本の運命を変えるような偉業を成し遂げてきた歴史上の偉人たちは、完全無欠な完璧人間のように見える。
    しかし、私たちが知っている彼らの姿はあくまでも表の顔にすぎず、偉人たちにも人間味溢れる部分がある。
    そう思わせてくれるのが『東大教授がおしえる やばい日本史』(本郷和人:監修、和田ラヂヲ:イラスト、横山了一:マンガ、滝乃みわこ:執筆/ダイヤモンド社)だ。
    本書には卑弥呼や聖徳太子、織田信長などといった誰もが知っているような偉人たちのヤバいエピソードが取り上げられている。
    偉人たちの本性や裏の顔を知れば、今までとは違った視点で歴史を楽しめるようにもなるはずだ。

    ■武田信玄は家臣にラブレターで猛アタック
    「甲斐の虎」とも呼ばれた武田信玄は戦国時代最強の軍隊を作り、領土を広げていった有名な武将。
    ライバルであった上杉謙信とは10回以上にわたり戦を交えたり、織田信長を止めるために「三方ヶ原の戦い」で徳川家康と対決したりした信玄は数多くの作品で男らしく描かれることが多い人物である。
    しかし、そんな信玄には片思い相手に熱い想いを伝えるピュアさもあったのだ。

    信玄が活躍した戦国時代は男性同士の恋愛がかっこいいとされており、織田信長や伊達政宗たちにも同性の恋人がいたのだそう。
    そんな中、信玄は春日源助という家臣に恋をし、ラブレターで猛アタックをし続けた。
    信玄は源助からつれない態度を取られ続けていたが、力で相手の気持ちをねじふせたり、恋を諦めたりすることはなかったという。
    こうした信玄のエピソードからは、彼の人柄が伝わってくるようにも感じる。

    なお、信玄は弥七郎という他の少年にもこっそりとアタックをしていたことが源助にバレそうになると愛をしたためた、いいわけの手紙を送ったりもしたのだそう。
    偉業を成し遂げた信玄の意外な恋愛を知ると、“武田信玄”という人物がより身近に感じられてくる。
    偉人だってひとりの人間。そう思わせてくれる魅力が本書にはあるのだ。

    ■うんこを漏らして戦から逃げ帰った徳川家康
    源助へストレートな愛情表現を行っていた熱い男・武田信玄と戦う羽目になった徳川家康は天下統一を成し遂げた偉人である。
    しかし、そんな彼にはうんこを漏らして戦から逃げ帰ったという、残念なエピソードもあったのだそう。

    その戦いこそが、信玄が活躍した「三方ヶ原の戦い」だ。
    家臣たちが自分の身代わりとなり目の前で次々と倒されていく光景を目の当たりにした家康はなんと、うんこを漏らしながら浜松城へ逃げ帰ってしまったのだそう。

    そんな逃げっぷりと汚れたパンツを見て城にいた家臣は「なんと情けない」と憂いたそうだが、家康は「これはクソではなく、腰につけていたミソだ」と、驚きの反論をしたのだという。
    苦し紛れの言い訳をする家康は「たぬきオヤジ」と呼ばれるほど心の底を見せない人物だったが、こうしたユニークな事実があったことを知ると、なぜだか憎めなくもなってしまう。

    なお、家康はこの経験をバネにするため、うんこを漏らした状態の情けない姿と変なポーズをした肖像画をあえて残させたそう。
    そして、その後は家臣たちに「ふんどしは白ではなく、黄色のほうが汚れが目立たない」というアドバイスも行っていったのだ。

    恥ずかしい体験はあえて心の中にしまいこまず、人にさらすことで自分の糧にする。
    そんな裏の顔があったからこそ、家康は歴史上にしっかりと名を残せるような偉人になれたのかもしれない。

    教科書に載っているほどの偉人たちも私たちと同じようにひとりの人間であり、残念な一面やヤバいエピソードを持っている。
    本書を読めば、自分の推し偉人も見つかるはず。「歴史は難しい…」と思い込んでいる方こそ、ぜひ爆笑しながら偉人達のありえない裏の顔に触れてみてほしい。

    http://news.livedoor.com/article/detail/15180259/



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