王平

    • カテゴリ:
    012

    1: 名無しさん@おーぷん 2018/08/19(日)23:46:39 ID:y2H
    街亭の戦いで、王平は諸葛亮から馬謖軍の先鋒を命じられ、
    馬謖が山上に布陣しようとするのを何度も諌めた。
    しかし馬謖が王平の諌言を聞き入れなかったため、
    結果として魏軍に大敗を喫した。
    しかし、王平の指揮する部隊1,000が踏み留まって陣太鼓を打ち鳴らし踏み堪えたため、
    魏軍を率いていた張?は伏兵の存在を疑って近づこうとはしなかった。
    敵が追撃の手を緩めたところで、彼は徐々に諸営の残留兵を収容し、
    将兵を率いて帰還した。これにより蜀軍は全滅を免れることができた。
    馬謖及びその配下の武将がいずれも軍令違反で処罰されたが、
    王平だけはこの時の功績により特別に敬意が払われた。
    参軍・討寇将軍の地位を与えられ、
    五部の兵を統率することを許可されると共に、亭侯に封じられている。
    諸葛亮が祁山に出陣した際、王平は別働隊を率いて山の南を守備した。
    この時、司馬懿が諸葛亮の軍を、張?が王平の軍を攻撃したが、王平は堅守して張?軍を撃退している。
    魏の曹爽が歩兵・騎兵あわせて10万余りを率いて漢水まで攻め寄せ、先鋒隊が駱谷に侵攻してきた。
    そのとき、漢中の守備兵が三万に満たなかったため、諸将は恐れ慄いた。
    ある者が、漢中を捨て後退し、漢城・楽城を固守して本隊の援助を待つべきだと主張した。
    しかし王平は、漢中を取られることの危険性を考慮してこの意見を退け、前進して隘路で敵軍の足止めを行ない、救援を待つことにした。
    王平は、劉敏と杜祺を派遣して興勢山に立て篭もらせ、自らは黄金谷より敵が兵を進めて来たときのために、後方での備えにあたった。
    王平は、費?の援軍が到着するまで抵抗を続け、撃退することに成功した(興勢の役)。

    https://i.imgur.com/jybZ3do.jpg


    【【三國志】魏軍絶対撃退マンこと蜀の王平を語ろう!】の続きを読む

    このページのトップヘ